「お疲れ様でした」に込めたメッセージ
神アナウンスのきっかけはコロナ禍だった。
京王電鉄の資料によると、2020年度の京王線の輸送人員は前年度比で約33.5%減少。通勤・通学客はテレワークやオンライン授業への切り替わりで減少し、シニア層も外出を控えるように。いつも賑やかな渋谷駅や吉祥寺駅でさえ、活気を失っていた。
なにより金親さんが気がかりだったのは、乗客の表情だった。
「ご自身のパーソナルスペースを守ることで精いっぱいといった様子で、お客さまの表情が本当に暗かったんです。窓の外を見る余裕もなく、手元のスマホに没頭しているような感じでした」(金親さん)
少しでも明るさを取り戻してもらうために、車掌として自分にできることは何なのか――。考え抜いた結果、思いついたのはアナウンスを工夫することだった。
駅の到着時に「いってらっしゃいませ」「今日もお疲れさまでした」と言ったあいさつを積極的に添えるようにした。なかでも、特に「お疲れさまでした」という言葉には強い思いがあるという。
金親さんは言う。
「井の頭線は駅間が短く、意外とメッセージを言う尺が取れないんです。なので、短い言葉で端的に思いが伝わり、かつしつこくならない言葉を考えて『お疲れさまでした』にたどり着きました。
普段生活していると頑張っても、報われなかったり、成果が出なかったりすることってありますよね。『お疲れさまでした』という言葉は、それでもその人の行動すべてを肯定する言葉だと思うんです。今日を乗り越えて本当にご苦労さまでした、という思いを込めています」
朝と夕方で声質を変える
声のトーンにも気を配る。
朝の渋谷駅に向かう人には、語尾を上げて「いってらっしゃいませ!」と元気よく、夕方の吉祥寺駅は「お疲れさまでした」と落ち着いたトーンでアナウンスする。Xにも「疲れて帰ってきて、井の頭線の『お疲れさまでした』のアナウンスを聞くと癒される」と言った反響もあり好評だ。
季節に応じた一言を添えることもある。
沿線では、井の頭線は東京大学駒場キャンパスをはじめ、教育機関が集まる文教地区でもある。沿線で入試がある日は、駅到着前にアナウンスで「受験勉強お疲れさまでした。頑張ってください」などと受験生にエールを送る。
また、沿線では、4月上旬に神田川沿いや井の頭公園の桜が、6月中旬には浜田山駅から西永福駅の線路沿いなどでアジサイが見頃を迎える。「少しでも和んでもらいたい」とアナウンスで知らせている。
ただ桜やアジサイの見ごろを案内するだけなら、自動音声でもできる。金親さんのアナウンスが人の心を打つのは、そこに細やかな心遣いがあるからだ。