仏教において禁欲は最も重要な戒だ。だが、日本では妻帯しているお坊さんを多く見かける。仏教学者の清水俊史さんは「出家者の妻帯は、出家の意義を喪失させる行為である。浄土真宗を唯一の例外として、日本仏教の諸派は僧侶の妻帯世襲を正当化することができない」という――。(第1回)

※本稿は、清水俊史『お布施のからくり』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。

仏教の僧侶
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なぜ出家者の妻帯が許されているのか

仏教において出家者が尊ばれる理由は、厳しい戒を保ち、人間が本能的に抱く欲望を抑える点にある。

「性欲を満たしたい」「異性と結びつき家庭を築きたい」「苦労を避け楽を追求したい」「嗜好品を手に入れたい」「娯楽を楽しみたい」「贅沢を味わいたい」「美食を堪能したい」といった、在家者が求める世俗的な幸福を犠牲にし、あえてそれとは逆の厳しい修行の道を選ぶ。

よって、妻帯世襲で蓄財し、世間並みの生活を送っているのであれば、それは決して出家者ではない。とりわけ、出家者の妻帯は、出家の意義を喪失させる行為である。そもそも、最も重要な戒である禁欲を守っていない破戒僧が、葬儀のたびに亡くなった檀信徒に戒名を授け、その見返りにお布施を受け取るというのは不思議な光景である。

確かに末法無戒を最も原理的に受け入れている浄土真宗においては、宗祖の親鸞から現代にいたるまで妻帯が当然のように行われてきた。だが、その代わり、浄土真宗では「戒すら保てない自分たちが、戒名を授けることはできない」として戒名ではなく法名を授けるにとどまり、その料金も1万円程度で極めて安く、そこに属する僧侶たちも「お布施するに値する立派な僧侶など存在しない」「自分たち僧侶は、在家者と比べて偉いわけではない」という深い自覚を抱いている。

仏教学者の考え

妻帯世襲が当然となった現状について、日本仏教内から反省の声があがっている。曹洞宗の碩学・山内舜雄は、「宗侶の妻帯在俗の生活を、なんら宗義上からカバーすることなく今日に至っている。これは宗学者の最大の怠慢と非難されようが、もともと出家主義の極地をゆく道元禅師の宗風から、妻帯在俗を肯定し、その結果生れる肉系相続の正当化を許すような論理を導出してくることは、まったく不可能である」と憂えている。

つまり、もはや妻帯世襲の曹洞宗は、釈尊の教えに反するどころか、宗祖である道元の精神にも反しているというのである。

だが、このように嘆きつつも山内舜雄は、具体的な今後の方針については、「肉系相続化した世襲教団の中で、きびしい出家主義的高祖道が、どこまで生かし得るか」と述べて、妻帯世襲の現状を容認する(「仏教教団の諸問題――宗学と教団の現状とをどう調整するか」『日本仏教学会年報』39、1974)。