電電ファミリーが支えた日本の繁栄

1985年、当時の電電公社が民営化された。85年といえば、わが国のバブルが始まる時期だ。その後、わが国の経済は高い成長を実現した。NTTは事実上の独占状態だった、国内の固定電話サービスから大きな収益を得た。その資金を、高速通信技術や半導体の研究開発に投下し成長を実現した。

当時、研究開発の拠点となったのは、NTTが運営する各種研究所だった。本業である通信をはじめ、通信ケーブルの素材開発や通信インフラに関する新しい手法、半導体の研究、宇宙開発などを積極的に展開した。まさに、NTTは電電公社時代から、幅広い分野で基礎・応用研究を積み重ね相応の成果を上げた。

当時、NTTの研究開発には、日本電気(NEC)、富士通、三菱電機といった国内の主要総合電機メーカーも協力した。NTTが取り組む通信技術の高度化は、わが国の総合電機メーカーのメモリー半導体の製造技術向上の波及効果をもたらした。

世界の時価総額ランキングを日本が総なめ

その成果として、1980年代半ば、わが国の半導体産業は米国を上回り世界トップの競争力を手に入れた。1986年には、世界の半導体メーカートップ10のうち、6社がわが国の企業だった。1988年、世界の半導体市場でわが国は50%超のシェアを獲得した。

NTTは、わが国エレクトロニクス産業の成長の基礎を形成した。電電ファミリーの企業は、テレビをはじめとする家電やパソコン、通信機器など新しい需要の創出に取り組んだ。自動車と並んでカラーテレビなどの家電、トランジスター等の電子部品の輸出は増加した。

1985年のプラザ合意以降、わが国は米国の要請に応じて内需の拡大を重視した。緩和的な金融環境も加わり、成長期待は過度に高まり、株式と不動産の価格が上昇する資産バブルが発生し、わが国の経済は過熱した。

1989年末、日本株が当時の最高値を記録した時、NTTの時価総額は1639億ドルだった。2位だった日本興業銀行(当時、716億ドル)の2倍以上の規模だ。時価総額世界トップ5はNTTをはじめ日本企業がおさえ、第6位に入ったのが米IBMだった。