※本稿は、真木あかり『「ツイてない」「もう無理」に効く占いと技術』(集英社)の一部を再編集したものです。

人生のビターな部分が、人を豊かにする
占いというものに深く関わるようになって20年が経ちました。当時は20代、仕事もプライベートも八方塞がり。「自分ばかりがなぜこんな目に」と思う日々でした。「なんとかこの生きづらさを解消したい。自分だって幸せになりたい」と、占いにヒントを見出そうとしていたように思います。そんな私を憐れんでか、師事していた師匠はこう言いました。
「幸運ばかりの人もいなければ、不運ばかりの人もいないよ。人生の前半が報われなかったとしても、ひねくれずに努力すれば人生の後半は必ず豊かになる。だから悲観せずにいなさいよ」
「光陰矢の如し」とはよく言ったもので、あれよあれよという間に月日は過ぎ、人生の午後と呼ばれる年齢になった今、思います。師匠の言葉は確かに、その通りだったと。占い師としてさまざまな方の人生と向き合い、人と話し、個人としても人生をやってきました。光のなかにいるように見える人にも、必ず陰があります。いい時期はずっとは続かず、波があります。人の裏をかいてうまくやっている人は、信頼をすり減らしています。幸運ばかりの人もいなければ、不運なばかりの人もいない。そして、「不運にどう立ち向かったか」こそが、その人の人生を豊かなものにするのだと、思うようになりました。
西洋占星術でも、吉とされている星の角度は「当たり前のこと」として感じにくいのです。「凶星」と呼ばれる星や、「凶角」などと呼ばれる星々の角度がもたらす出来事こそが人を鍛え、その人の強みを作ると言われています。幸運というのは嬉しい、でも、そればかりでは人は甘えてしまうのでしょうね。不運が人を作るとまでは申しませんが、どう対処するか、何を学ぶかで仕事や人間関係がグッと豊かなものにできるのだろうと思います。
人生において避けることができない不運というものを、どう対処するのか。失意や悲しみをどう扱うべきなのか。予測して、活かすにはどうするのか。まずは受け止め方、考え方の部分から不運の解像度を上げていきたいと思います。
自分は自分が知っている範囲の未来しか想像できません。「思い通りの人生」を送ろうとするのは、自分の小さな視野のなかで生きること。「思った以上の人生」にはならないのです。幸運も不運もそれぞれに受け止め、活かしていく。それが最終的に、いい人生につながるのですね。
では、実際に不運について考えてまいりましょう。