パートナーが「育児や家事」より「仕事」を優先しがち。共働きなのに負担が自分に偏っているように感じる――。そうした夫婦間の仕事と家庭に対する「温度差」はどう埋めていくとよいのでしょうか。
今回は「ケア」を研究する福祉社会学者でありつつ、自身もパートナーとの「仕事と家庭に対する温度差」に課題を抱いたことがあるという竹端寛さんに、夫婦の「温度差」の要因とそれを埋めるためのコミュニケーション方法を教えていただきました。
※本記事の初出はこちら『はたらく気分を転換させる深呼吸マガジン りっすん』です。
お話を伺った方:竹端寛さん
兵庫県立大学環境人間学部教授。専門は福祉社会学、社会福祉学。著書に、一児の父として子育ての経験を綴ったエッセイ『家族は他人、じゃあどうする?――子育ては親の育ち直し』(現代書館)、『ケアしケアされ、生きていく』(筑摩書房)など。最新刊は『能力主義をケアでほぐす』(晶文社)。
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なぜ育児・家事より、仕事を優先してしまうのか?
――周囲の共働き夫婦を見ていると、育児・家事に対する「温度感」が異なることで負担が片方に偏ってしまいがち……というケースが多い印象を受けています。なぜ夫婦間でこのような温度差が生まれてしまうのでしょうか。
―竹端寛さん(以下、竹端):僕の考えをお話しする前に、みなさん(取材に同席した20〜30代女性・編集スタッフ数名)の意見も伺いたいのですが、日常生活において同じように悩むことはありますか?
――(横で聞いていた編集スタッフ)私はあります。子どもが生まれる前から「共働きだから、育児・家事は平等に分担しよう」と話していて、パートナーも同意していたはずなのに、向こうの「仕事」を理由に私に負担が偏ることが多くて……。
竹端:ありがとうございます。このような「温度差」の背景には、夫婦のどちらかが何よりも仕事を優先する心理、いわゆる「仕事中心主義」に染まっているケースが考えられます。
実は僕もずっと「仕事中心主義」で生きてきたため、子どもが生まれても、なかなかこの思考から抜け出せなかったんです。妻から「一緒に子育てができないなら、一緒にはいられない」と言われたこともありました。
――「ケア」を専門に研究されている竹端さんでも、パートナーや子どもの「ケア」を優先しようとする心理がなかなか働かなかった、というのはとても興味深いです。自身の「仕事中心主義」と向き合うきっかけは何だったのでしょうか。
竹端:妻からの一言をきっかけに育児や家事を積極的に行うようになったのですが、ミルクをつくって、買い物に行って、掃除をして、夕飯をつくって、おむつを替えて……で1日が終わったとき「俺、今日何もできへんかったわ……」とつぶいたことがあったんです。それを聞いた妻から「あんた、こんなにいろいろやってくれたやん!」と突っ込まれて、ハッとしたんです。
仕事であれば「今日はこれができた!」と自分の成果を認めることができるのに、育児・家事はいくらやっても「自分が達成したこと」としてカウントできていなかった。大変お恥ずかしいですが、「仕事の方が価値がある」と思っていたからこそ、この言葉が口をついたのだと気付かされました。
――子どもがいる共働き家庭の生活において「育児・家事」は必要不可欠な「タスク」にもかかわらず、なぜ「仕事」を優先する心理が働いてしまうのでしょうか?
竹端:テストの点数、偏差値、習い事での順位など、私たちは子どもの頃から他者評価システムに組み込まれて生きています。そして、人は他者からの評価によって承認欲求を満たそうとする。
この「他者からの承認欲求」を比較的簡単に満たせるのが「仕事」なんです。極端な話、パートナーの話を聞いたり、子どもと遊んだり、家族のケアをしたりしても「承認欲求が満たされるほどの評価」ってされづらいじゃないですか。