秋篠宮家の長男、悠仁さまが筑波大学に入学され、メディアで取り上げられることも増えている。神道学者で皇室研究家の高森明勅さんは「悠仁殿下が将来、天皇として即位されることがあたかも既定の事実であるかのような報道が目につく。しかし、欠陥ルールに基づく皇位継承順序を、揺るがぬ事実であるかのように受け止めてしまうのは問題だ」という――。
筑波大の入学式に臨まれる秋篠宮家の長男悠仁さま。2025年4月5日午前、茨城県つくば市(代表撮影)
写真提供=共同通信社
筑波大の入学式に臨まれる秋篠宮家の長男悠仁さま。2025年4月5日午前、茨城県つくば市(代表撮影)

悠仁さまをめぐる報道の問題点

秋篠宮家のご長男、悠仁親王殿下がめでたくご成年を迎えられ、筑波大学に入学された。それにともなって、このところ悠仁殿下をめぐる報道がにわかに増えた。それ自体は結構なことだ。

しかし、1つ気になることがある。

それは悠仁殿下が将来、天皇として即位されることがあたかも既定の事実であるかのような報道が目につくことだ。

もちろん、今の皇位継承のルールによれば、天皇陛下の次の皇位継承者は秋篠宮殿下であり、その次が悠仁殿下という順番になる。しかし、そのルールが重大な構造的欠陥を抱えている事実は、すでに広く知られていることではないだろうか。

欠陥ルールに基づく皇位の継承順序

明治の皇室典範で歴史上初めて、皇位継承資格を「男系の男子」に狭く限定した。

前近代には、よく知られているように10代8方の女性天皇がおられた。さらに古代の大宝・養老律令では、「女帝の子」は女系の親王・内親王とし、その皇位継承資格も認めていた。

その実例が奈良時代の元正天皇だ。この天皇は父親の草壁皇子が即位しないまま亡くなり、母親の元明天皇が即位された後を受けて、「女帝の子」=女系の内親王として即位されている。

ところが明治の皇室典範で、皇位継承資格が“男系男子”だけに狭められた。そうすれば当然、皇位の継承が不安定化する。

それを補う仕組みが、新しく採用された「永世皇族制」(世代を問わず子孫は皇族となる。ただし弊害があり後に修正)と、古代以来の側室制度と非嫡出子、非嫡系子孫にも皇位継承資格を認めるルールを維持することだった。

たとえば、明治典範を定められた明治天皇も、その典範のもとで即位された大正天皇も、ともに「側室の子」だった(明治天皇の母親は中山慶子よしこであり、大正天皇の母親は柳原愛子なるこ)。

今の皇室典範では、さすがに旧時代的な側室制度を前提とした非嫡出子、非嫡系子孫が皇位を継承する可能性を排除した。にもかかわらず、それと“セット”でなければ維持できないはずの、明治の皇室典範で新しく採用された「男系男子」限定ルールの方は、うっかりそのまま踏襲してしまった。

明らかに“ミスマッチ”な仕組みと言わざるをえない。

そのうえ、社会の晩婚化・少子化は進む一方だ。

この構造的欠陥のために、次の世代の皇位継承資格者がわずかに悠仁殿下お1人だけという、現在の皇室の危機を招く結果になってしまった。

このルールをいつまでも維持できないことは明らかだ。

大正天皇の肖像画
大正天皇の肖像画(写真=毎日新聞社「天皇四代の肖像」/宮内省/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons