なぜ、下から3番目の男が日本一になれたのか
約3万8000人が駆け抜けた今年3月の東京マラソン。日本人で最もスポットライトを浴びたのが市山翼(29歳、サンベルクス)だった。
市山は第3集団でレースを進めて、中間点を1時間02分44秒、30kmを1時間29分13秒で通過。ペースメーカーが離脱すると、「栄光」に向かって突き進んだ。
第2集団でレースを進めた日本人選手に迫ると、パリ五輪6位入賞の赤﨑暁(九電工)、日本歴代2位の2時間05分12秒を持つ池田耀平(Kao)らを逆転。有力選手を抑えて“日本人トップ”に輝いたのだ。
市山は日本歴代9位となる2時間06分00秒の10位でフィニッシュ。何より光るのは自己ベストを1分41秒も更新して、7月上旬より開催する東京世界陸上の参加標準記録(2時間06分30秒)を突破したことだ。
本人は、約3カ月前の快走をこう振り返った。
「自己ベストが2時間07分41秒だったので、しっかり結果を残せて、今もうれしく思います。こういった取材を受けさせていただき、なおさら実感しているところですけど、自分の実力で東京マラソンの日本人トップはちょっとやりすぎたのかなとも思っています(笑)」
市山は東京世界陸上代表の有力候補に挙げられたものの、残念ながら日本代表には選ばれなかった。“3人目”の枠をゲットしたのは初マラソンの大阪で2時間05分39秒(日本歴代5位)をマークした近藤亮太(三菱重工)だった。
「東京で日本人トップになれば東京世界陸上が決まるかなと思っていたので、日本代表が発表されたときはいろんな感情がありました。でも優勝したわけではないですし、前(第2集団)で臨める状態ではなかったので自分はまだまだだったと思います。今となっては新たな目標に方向転換できたので良かった部分もありますよ」
ビッグチャンスを逃しても、ポジティブに受け止める。アスリートに限らず、できそうでなかなかできないことだろう。しかしなぜ、彼は腐らずに再び前を向いて走りだせたのか。そこには、これまでの非常にユニークな競技歴と、爽快な仕事術があった。