バケツを頭にかぶって逃げたが、なぜか落ちたバケツを「取れない」

「(百石町の田の道にいたとき)なにか急に身に迫るような空気の振動を感じた。歩くのを止めて、すっとしゃがんだ途端に、大きな力で、背中の方からゆさぶられる様に、身体が前後にゆれた。今にも倒れそうであった。ちょうど大風に吹かれて飛びそうな感じであった。ピリピリ身体に電気がかかったようであった」

このとき、自覚はなかったが、女性は爆弾の破片に当たっていた。

「(飛んでいったバケツを)近づいて拾おうとしたがとれない。何回くり返してもとれない。おかしいと思った。(中略)左手でとったの(バケツ)を地面において、右手でとってみた。やはり取れない。(中略)ふと右手を見た。袖がちぎれて右手もない。なにか地面に白い物が見える。近づいて何気なく拾いあげると、手だった。しかも、それが大切な自分の右手だった」

右肩のつけねから右手全体を吹き飛ばされたが、不思議と痛みはなかったのだという。女性は「谷間に落ちてゆく」ような悲しみに襲われながら、あとで病院で縫い合わせてもらえるならと思い、右手をバケツに入れて先へ進んだ。しかし、焼け出された人にバケツだけを盗まれ、捨てられた右手は犬がくわえて持ち去ってしまった。

高知空襲を行ったB29と同じ爆撃機、1944年
高知空襲を行ったB29と同じ爆撃機、1944年(写真=PD US Air Force/Wikimedia Commons

子を亡くした母親の話は、涙なしには読めない

自分が大けがをした話もつらいが、子どもを亡くした体験談も、涙なしには読めない。

当時、帯屋町に住んでいた38歳だった女性には、小さい子どもが7人いた。1歳から16歳まで五男二女。高知市が空襲されるようになり、夫が疎開先を見つけてきて明日には出発しようという夜に、大空襲に遭った。

高知県の帯山町商店街
写真=iStock.com/winhorse
高知市帯屋町、2016年(※写真はイメージです)
「主人は三男(6歳)を自転車にのせ、私は五男(1歳)を背負い、長女(16歳)が四男(4歳)を背負い、長男(14歳)、次女(12歳)、次男(9歳)の三人はそれぞれ走ることにしました。出発のまぎわ、主人が『決して、うしろを振りかえってはいかん。前に進むことよりほかは考えるな』と、みんなに言って出ました。」
「もう、どこも火の海です。(中略)逃げていくうち、帯屋町三丁目あたりで、人がひとり倒れています。抱きおこしてみると、(一緒に走って逃げていた)長男です。(中略)背中の子どもはギャーギャー泣くので、あと髪ひかれるものの、長男は動こうとしませんので、このままおったら、親子ともに焼け死にますから、ヨタヨタと出てきました、背中の泣き声につられて――」