江戸時代後期の老中・田沼意次の息子、意知(おきとも)とはどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「家督を継いでいない立場でありながら、大名並みの位階と仕事を与えられていた。能力は高かったものの、世間からの評判は良くなかった」という――。

NHK大河で目立つ「田沼意次の息子」とは

田沼意次(渡辺謙)の頼りになる息子として、田沼意知(宮沢氷魚)の存在感が、NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」で急速に増している。

俳優の宮沢氷魚が2024年2月14日、東京で開催された第78回毎日映画コンクールに出席した。
写真提供=WireImage/ゲッティ/共同通信イメージズ
俳優の宮沢氷魚が2024年2月14日、東京で開催された第78回毎日映画コンクールに出席した。

意次が側近の提案を受け、蝦夷地(北海道)を幕府の直轄領にし、金銀をはじめとする蝦夷地の資源をもとにロシアと交易することを検討しはじめた場面で、準備のための調査をみずから買って出たのが意知だった。

蝦夷地は松前藩が管轄しているので、幕府の直轄領にするためには、松前藩の領地を召し上げ、権利を奪う必要がある。そのための調査と工作を請け負ったのである。

第22回「小生、酒上不埒にて」(6月8日放送)では、松前藩が抜け荷(密貿易)をしている証拠をつかむために、意知はさまざまな手を打った。松前藩の元勘定奉行、湊源左衛門(信太昌之)から、抜け荷の取引の場を記した地図があると聞くと、その調査を勘定組頭の土山宗次郎(栁俊太郎)にまかせ、自身は吉原に出向くなどして、抜け荷の痕跡を探った。

大文字屋の花魁、誰袖(福原遥)も抜け荷の証拠集めに必死で、大文字屋に遊びに来た松前家江戸家老、松前廣年(ひょうろく)が、琥珀の腕飾りをしているのを見逃さなかった。その腕飾りを手に入れると、「松前公の弟君の腕飾り。オロシャ産の琥珀という石。抜け荷の証しにござりんす」という手紙とともに土山に渡し、土山が意知に届けた。

家督を継いでいないのに異例の出世

ただ、ロシア産の腕飾りを身につけていただけでは、抜け荷の証拠にはならない。松前廣年がロシアと直接取引した証拠が要る。意知は「花雲助」という忍びの姿で吉原に出向き、誰袖にその旨を伝えるが、誰袖は、廣年にけしかけて抜け荷をさせればいいという。

誰袖のしたたかさを知って、意知は自分の正体を明かし、「見事抜け荷の証しを立てられたあかつきには、そなたを落籍いたそう」と覚悟を決めた。

さらには蔦重こと蔦屋重三郎(横浜流星)にも、自分が何者かを明かして蝦夷を天領にする計画を話し、「最後に源内殿も口にしておった試みだ。どうだ、そなたもひとつ、仲間に加わらぬか?」と誘いかけた。

「べらぼう」第22回で描かれているのは、天明2年(1782)ごろである。寛延2年(1749)に生まれた田沼意知は蔦重より1歳年長で、この年に数え34歳。それなりの年齢にはなっていたが、田沼家の当主はなおも父の意次で、意知はまだ家督を継いではいなかった。つまり、部屋住みのままだった。

それにもかかわらず、このころの意知は、すでにかなりの力を得ていた。