自分よりも勉強のできない子が名門中へ
「漠然と、筑波大付属駒場や開成などの名門校へ進学して東大へ行き、官僚になる夢を抱いていました。しかし引っ越しによって環境はまるで変わり、それらは夢のまま終わってしまいました。
私よりも勉強の苦手だった東京の同級生たちが名門中学校へ進学していくのをみて、釈然としない気持ちが残り続けました。それはちょうど、得られるはずだったものを目の前でとりあげられたような悔しさがありました。私の怠惰で受験ができなかったのではなく、いわば不可抗力によって思い描いていた未来が改変されてしまったからだと思います」
もちろん地方にも名門校はある。しかしさらなる追い打ちがえぐざま氏を襲った。
「中学校2年生のとき、経済状況の悪化に伴ってさらに僻地へと引っ越すことになりました。周辺には、大学進学がかろうじて可能な偏差値55の高校が1つあるだけの、あまり学習には適さない環境だったと思います。やむなくその高校へ進学した私は、父の仇であるはずのカラオケに入り浸り、偏差値は下降線を辿り続けました」
現役のときは受験校すべてに嫌われ、自宅浪人を経て東京の私立大学へ進学した。そのモチベーションは、「もう一度東京へ戻りたい」という強い信念だったという。
調査書をPDF化した深層心理
「当時の我が家の世帯年収は300万円ほどでしたし、近隣に予備校もありませんから、自宅で勉強する選択をしました。かつて高IQと持て囃されていた私は、日東駒専レベルの大学へ進学することになったんです。それは自らの不甲斐なさです。
大学へは進学しましたが、結局、その年から毎年、大学受験をしています。というのも、大学受験に必要な調査書は5年ほどで保管期限が終了してしまいます。私はそれを20年以上前にPDF化して保存していたんです。もしかすると、潜在意識下で長い大学受験生活になることを予感していたのかもしれません」
1浪後に入った大学に通いながら毎年東京大学や早稲田大学などの名門大学を受験し続けたえぐざま氏は、卒業と同時に大手教育関連企業へ入社する。時は就職氷河期、採用倍率は200倍という超難関だった。現在もなお同社へ在籍し、かなりの高給取りの部類だ。だが1年も欠かさず、彼は大学受験をし続けている。
「ネットで有名になってしまい、ファンサービスという側面も正直あります。近頃は『○○大学を受験してください』などの要望をいただくようになりました。ただ、さまざまな大学受験方式を調べたり、入試問題を解くことが楽しいのは事実ですね。大学受験は私のライフワークなんです」